これから私は、誰の指図も受けず、大海原へ飛び込みます。私の挑戦に興味を持つ人などいないし、もし溺れて死んでも自己責任。戸塚ヨットスクールより厳しい現実が待っていようと、そこに怯む余地はありません。
目指すのは、私が自分で決めた“あの島”です。行き方も時間配分も、何を準備するかもすべて自分の頭で考え、決めなくてはならない。他人の言葉を鵜呑みにしていたら、本当に命を落としかねないでしょう。彼らが責任を取ってくれるはずもない。ならばこそ、自分の頭を信じ、自分の命を守るしかありません。
創業を思い立ったら、しらふのときに計画を立てること。酒の席での他愛ない話や、会社が嫌になったなどという後ろ向きな理由だけでスタートを切るのは危険です。学歴や大企業での経験が無意味とは言いません。しかし、そうした経歴を嫌悪する人々の集まりと取引する可能性も高い。それをしっかり理解しておかないと、鼻にかけた瞬間に顧客が一斉に離れるかもしれません。
自慢できる家柄や派手な生い立ちがあっても、直接ビジネスに関係ないなら黙っておくのが得策。ほんの少しでも傲慢な態度を見せた途端、周囲は冷ややかな視線を送り、気づけば誰も味方をしてくれなくなります。
自分の頭で考え、自分の意志で決断し、自分の力で泳ぎきる――それが、新しく航海を始める者に求められる覚悟です。どんなに海が荒れようと、どれだけ体力を消耗しようと、自分で選んだ道ならば踏ん張りどころもわかるはず。もし揺らいだとき、まずすべきことは冷静になること。傾いたときほど、あなたの真価が試されるのです
さあ、泳ぎ始めました。大海原は荒れ狂い、ときには進むべき方向を完全に見失うこともあるでしょう。そんなとき、私も「こっちが北だ」と言ってあげたい気持ちはあります。けれど、私自身もそれを絶対的な確信をもって指し示すことはできません。もし「私こそが正しい北を知っている」と断言する人物がいたら、それはニセモノの自称コンサルタントの可能性が高いでしょう。
経営の舵取りは、自分で握るからこそ意味があります。たとえ私が「だいたいあっちが北だよ」と示すことはできても、結局はあなた自身の頭で判断し、手足を動かして泳がなければなりません。それが経営助言の本質――アドバイスを受けることはできても、最終的な責任を引き受けるのは自分自身です。
だからこそ、“本物”の経営コンサルタントと、ペラペラと美辞麗句を並べるだけの**“自称”コンサルタント**を見抜く力を身につけてください。経営経験のない人間が、経営の本質を語るなどナンセンスだと思いませんか?
ここで質問です。「人間には2種類しかいない」。何と何でしょう?
答えは、経営者と雇用者。
その違いを本気で理解し、喝破できて初めてあなたは“経営者”になれるのです。荒れ狂う波間で「北はどっちだ?」と戸惑うとき、自分を導けるのは自らの判断力だけ。経営者としての視点を得たとき、波風の中でも確かな指針が見えてくるはずです。
いきなり順風満帆で進むなんて、まずありえません。むしろ「もう、このまま沈んだほうが楽だ」と、何度もあきらめかけることでしょう。現実には、多くの人がそこで踏ん張れず、海の藻屑のように消えていきます。
もちろん「あきらめるな、ファイトだ!」と声をかけたい気持ちはあります。しかし、実際にはそう簡単なものではありません。参入障壁が低い業界ほど、競争は激烈かつ過酷。たとえば飲食業。朝から晩まで18時間365日、鍋に向かう気力と体力はありますか?「死ぬ気で働けぇ!」と言われ続けても、維持する自信はありますか?少しでもモチベーションが落ちれば、客はその“味のブレ”に一口で気づきます。
「ちょっと料理がうまい」とおだてられて創作料理店を始める――そんな甘い考えで参入しては痛い目を見るだけ。現状の居抜き物件を見ればわかる通り、95%は敗北し、借金を抱えて表社会から消えていくのが現実です。入れ替わり立ち替わり新しいラーメン店やラウンジがオープンしては消えていく姿に、“死ぬ気で働く”ことの重みを痛感するはず。
もし本気で始めるなら、坊主が修行に十年かけるように、本格的な準備と覚悟が必要でしょう。その「死ぬまで働けぇ!」という言葉の意味を身をもって理解し、自分自身が“主体的に動く”境地まで達してこそ、ようやくプロの入り口に立てるのです。沈むか浮かぶか、その覚悟を持てるかどうか――それこそが、あなたが今試されている最大のポイントなのかもしれません。
ああ、ああ、ああ――海の底へと引きずりこまれるように、身体が鉛のごとく重くなっていく。もう、浮かび上がる気力すら失われている。それでも、むやみに「助けてくれ!」と叫ぶのは禁物だ。大声で救いを求める先に現れるのは、慈悲深い人間ではなく、死肉を狙う妖怪の類――“セクシーで妖艶な人魚”に見えても、その正体はあなたの最後の財産を根こそぎ奪う化物かもしれない。
「癒やし系で、しかも萌え要素まで!?こんな奇跡があるのか?」――そう思うほど怪しい話ほど、実は甘い誘いには棘が潜んでいる。ここで多くの人が姿を消していくのは、妄信してはいけない相手に無防備にハマってしまうから。周囲がいくら「やめておけ」と忠告しても、「お金を貸してくれるの?」「助けてくれるの?」という問いに、明確な救済はない。そうして、気づけば奈落へと落ちていく。
考えてみてほしい。“わざわざタダで溺れる人を助けてくれる”奇特な存在が、この世に本当にいるだろうか?いない。最初にやって来るのは、あなたの最後の信用と財産を狙う詐欺師だ。彼らは一見優しげに微笑み、あなたに唯一残った資産を換金させ、すべてを持ち去る。
そして、より恐ろしいのは、騙された人がいつか“ゾンビ”のように悪学習して、今度は自分が他者を欺き始めることだ。彼らは社会を恨み、ためらいなど微塵も持たずに“狩る側”へ転じる。被害者が加害者になる――これが本当の地獄だ。
「助けがほしい」と願うあまり、人魚の微笑みを信じこむか、それともこの荒海の現実を直視して自力で泳ぎ続けるか――。沈む寸前だからこそ、理性を失わず見極めること。それが、あなたの生き残りをかけた最後の砦となるだろう。
私は、すでに泳ぐことを諦めた人を引き上げることはできません。なぜなら、泳ごうとする意志を失った以上、自分自身で浮かび上がることも望まなくなっているからです。でも、もしあなたが沈みかけながらも必死で水面を見上げ、もう一度泳ぎ出そうとするなら――そのときこそ「明かりが見えるぞ」と声をかけたい。
かつて日本は「価格破壊」という言葉に惑わされ、バブル崩壊から長いデフレのトンネルをさまよいました。失われた30年――これは数字だけではなく、人々の希望までも奪ってしまった時代だったのです。しかし、世界経済の成長率やインフレ動向を見れば、いま再び**“回復”の波**が押し寄せているという予感があります。かつての活気を取り戻す振り子が、ようやくこちらへ戻り始めているのではないか――そう信じたいのです。
もしあなたがこの海で、ほんの少しでも光を探しているのなら、私からひとつだけ言わせてください。「明かりは必ずある」。それを見つけられるかどうかは、あなたの意志次第。浮かんでやろう、という覚悟を決めたとき、世界は以前とは違った姿を見せはじめます。沈む寸前に踏ん張る勇気こそが、これからの日本、そしてあなた自身の未来にとっての“第一歩”になるのです。
あの島に、いつ辿り着けるのか。正直、私にもわかりません。
けれど、まだ視界の端にその影が見えるのなら、ひたすら腕をかき続けるしかないじゃないですか。
見失った30年――そんな長い年月だって、ただ呆然と立ち尽くしていたら、永遠に取り返せません。
失われた時間を再び我がものとするために、“今”この瞬間を諦めず泳ぐしかないのです。
もし、その荒海をともに渡りきろうという意志があるなら――
一緒に戦いましょう。
沈むか、浮かぶかはあなた次第。失われた30年を食らいつく覚悟があるなら、遠く見えるあの島を目指して、さあ泳ぎ続けるんだ。