私の軌跡

少年時代

**カミングアウト:

俺の夢は“義勇兵”として、地獄の底まで血で染め上げることだった。**

1.偽善者どもを燃やし尽くせ

小学校6年生の冬。
テレビに映るのは、ソ連軍の戦車隊がアフガニスタンの村々を蹂躙し、爆撃機が赤茶けた大地をえぐる光景。血と炎にまみれたその映像に、俺は吐き気を覚えた――“ソビエト社会主義の侵略”は、まぎれもない地獄そのもの。
だが、それ以上に俺の血を沸き立たせたのは、かつてベトナム戦争にだけは声高に反対を叫んでいた“正義ヅラ”の左翼や教師、マスコミどもの冷淡な沈黙だった。
「お前ら、どの口で平和を語ってんだよ。偉そうなことばっかり抜かしやがって」
鼻につく正義面に、ありったけの硫酸をぶちまけたくなる気分だった。大人は嘘つき。教師は汚物。その口を散弾銃で吹き飛ばしてやりたい――そんな苛烈な怒りを、俺はガキの身でこっそり飼い始めていた。

”殺し合い”こそが言葉より雄弁――それが本気の証明だろ?

「ペンは剣よりも強い?」
笑わせるな。じゃあ、アフガンに行ってソ連兵の頭を撃ち抜く方がよほど直接的で早いんじゃないか?と当時の俺は本気で思っていた。
もし何かを変えたいなら、プラカードを振りかざしてデモ行進するなんて温いことをせず、徹底的に命を張るしかない。実際に血の雨を降らせなければ、世の中は変わらない――当時の俺の結論はこれだけだった。
「照準のなかのソ連兵」を何度も読み返し、アフガニスタンの荒野に自分が立つイメージを重ねる。まだ世間知らずのガキの分際で、拳銃やライフルの扱いを夢想し、はやく現地へ飛びたいとさえ願っていた。
周囲の人間すべてが馬鹿馬鹿しく見えた。高校進学?大学?就職?“くだらねえ”の一言だ。どうせみんな、ぬるま湯に浸かって行儀よく死んでいくだけじゃねえか――なら俺は、戦場で派手に散ってやるよ、と。

3.崩壊するソ連――そいつは俺にとって最悪の結末だった

そんな破滅的な理想は、1989年のソビエト崩壊で一瞬にして砕かれた。
「はぁ?あんだけ俺の殺意を煮え立たせておいて、勝手に自滅してんじゃねえよ」
握りしめていた刃を奪われた俺は、まるで谷底に突き落とされたような気分だった。狙い続けた標的が、こっちが引き金を引く前に消えちまったんだ。もう俺の戦場はどこにもない。
それなのに、この国はバブル景気で浮かれに浮かれ、金だ、株だ、土地だと騒いでいる。そんな連中を見ていると、脳の内側から焦げくさい怒りが湧き上がる。
「こうなったら、街ごと火の海になればいい」
彗星でも小惑星でも、東京のど真ん中に落ちて、まとめて滅んじまえ――そんな極論さえ甘く感じるほど、俺は内心で荒れ狂った焔を抱え続けていた。

4.くだらねえ人生――嘔吐と立ちションの中で生きている実感を探す

両親への情だけが、俺を自殺や犯罪へ突き進むのを止めた。仕方なく、社会に出て安い給料で働き、帳簿や伝票を毎日クソ真面目に処理し、会社の連中と下劣な飲み会を繰り返す。
“発散”と言うにはあまりに惨めな泡盛で酔い潰れ、嘔吐しながら思い出すのは、かつて抱いていた血と火薬の匂い。タチの悪いエロ話とどうしようもない自慢話にまみれた空気がうとましくて、こっそり裏路地で煙草をふかしながら闇に溶ける。
路地裏のコンクリに立ちションしつつ冬空を見上げて思う――
「これが、俺の成れの果てか。くそったれだな」
けれど死には至らない。怒りと憎悪が風化したわけじゃないが、ここで何かを壊しても空虚しか残らない。それを思うと、ひたすら拳を握りしめるだけだった。

5.ふと訪れた“念ずれば花ひらく”――揺さぶられる底なしの憎悪

そんな底辺をよろめき歩く日々の中で、業界の先輩が何気なく呟いた言葉が妙に胸に突き刺さった。
「念ずれば花ひらく、って言うだろ?信じてやってみたら意外とイケるんだよな」
死んだような生活を続ける俺には、それが滑稽に聞こえるはずだった。だけど何故だか、電撃が走るような感覚があった。
“もし俺の凶暴な怒りも、どこかで花を咲かせる可能性があるとしたら?”
――いや、そんな簡単なもんじゃない。俺は血に飢えていた。ソ連崩壊で失った仇敵の姿を、どうにか別の仮想敵に当てはめようとしていたのかもしれない。だが、その行き場を見いださないと、このまま腐り落ちるしかない。それだけは嫌だ。腐るなら、地獄の炎で焼け尽きたほうがマシだと思った。

6.再び“戦い”を探す――非正規戦の覚悟で社会へ牙をむく

この国には、まだまだ“俺の憎悪”をぶつけるに値する醜い存在がはびこっているじゃないか。拝金主義にどっぷり浸かった輩や、弱者を踏みにじる権力者たち――そいつらを野放しにしておいていいのか?
かつてソ連兵を殺したかった頃の殺意は、いま“別の敵”を見据える力に変わるかもしれない。もちろん、無差別に暴力を振るえばただの犯罪者だ。だからこそ、合法の中で可能な限り追い詰める“非正規戦”を仕掛けるつもりだ。
どれだけ牙を剥いても届かない壁があるなら、牙そのものを研ぎ澄ませばいい。いつか本当に食らいつける瞬間が来る――そう思えば、まだ息をしている自分を殺しきれない。

7.身体を律する――200kmランニングが注ぐ“黒い意志”

過去の戦場妄想で培った軍事的なストイックさを、今度は自分の身体を極限まで鍛えることに費やす。月間200kmのランニング、年間10回以上のフルマラソン。
「腹の肉は信用の無さと比例する」――下らなく聞こえるかもしれないが、殺意を抱え続けるには身体を甘やかさないほうがいい。筋肉が締まり、心拍が早鐘を打つたび、かつての“死を覚悟した闘争心”が少しずつ甦るんだ。
俺はまだ終わっちゃいない。
ソ連兵をぶちのめすチャンスは無くなったが、それなら別の敵を狙えばいい。いつかこの国の闇に巣食う輩を追い詰め、俺の“第二の戦場”を切り開いてやる――その思いが、足を一歩一歩前に運ばせる。

エピローグ:影を抱えながら、それでも願う“他者の幸せ”

この物語を“救いようのない独白”だと嘲笑する人もいるだろう。
だが、不思議なことに、俺は自分以外の人間がちょっとでも幸せであってほしいと祈るようになっていた。子どもたちや若者が、せめて安全な世界で笑っていられるのなら、それは俺の過去の鬱屈を少しだけ浄化してくれるかもしれない。
ただし、もしそいつらを利用しようとする汚い大人がいるなら、遠慮なく叩き潰してやる。
覚悟しろ。俺の殺意は死んでいない。かつて“ソ連軍への報復”だった炎は、今や“お前ら”に燃え移ろうとしている。
――だから、お前ら偽善者はせいぜい震えて夜を過ごせ。俺は黙々と走り、時が来るのを待ちわびる。念ずれば花ひらく?それが血の花だとしても構わない。
あなたたちには、どうか幸せな毎日が続くといい。俺は俺で、肥大した憎悪を飼いならしながら、やがて来る“復讐劇”の幕が上がる日を夢見ている――それこそが、今の俺が生き抜くための“くだらない希望”なのだから。

重要なご案内

  • 上記の物語は、あくまでも“創作上の過激な内面表現”であり、実際の暴力行為やテロリズムを推奨・賞賛するものでは決してありません。
  • 実社会におけるいかなる暴力・違法行為も固く否定いたします。この作品は一人の“歪んだ心を抱えた人物”のフィクションとしてお楽しみください。






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